指導者に必要なもの

 私はこれまで25年以上にわたり、理学療法士の臨床実習指導者もしていました。指導とは、「指して導く」と書きます。一方で教育とは「教えて育む」と書きます。つまり「指導」は、迷っている人対して進むべき方向を照らし、指し示して導いてあげることであり、教育とは知識や経験が十分ではないものに必要なことを教え育てることが教育と言えると思います。このふたつに共通するものは、主体は教える側ではなく教えられる方にあり、その人に何が不足しているのか、どのように進んでいけば良いのかということを、彼ら自身に「気付かせること」だと思うのです。知識がなければ、「気付く」ことは出来ません。「気付く」ためには経験も必要でしょう。しかし、それらがあるときにはバイアスになることもある。いったん、知識や経験がバイアスになると、指導者や教育者自身が逆に教えられる側に対して、その成長を妨げてしまうこともあります。指導、教育する側も、常に自分自身を客観的に見つめ、人として成長していく努力が必要ということなのでしょう。そしてそのためには、「メタ認知」能力が必要です。「メタ認知」の詳細については、また後日投稿することとしますが、教育や指導をするにあたって重要なことは、メタ認知にも通ずる、「木の上に立って見る」という「親」の精神ではないかと思うのです。「親」という字は「木の上に立って見る」と書きます。子育てをしていても、学生を指導していても、ついつい木から下りて直接教えたくなることはよくあることです。しかし、木の上に立って温かく見つめ、本人に気付きを与え、行動を変えていくことによって変化する様々なことを経験させることが、とても重要なのではないかと思います。

 10年以上前に私が指導した学生の話です。県外から実習に来ていて、患者様を担当するのは初めてで、親元を離れて生活するのも初めてという学生でした。私が担当させた患者様は、少し口が悪い意地悪な女性でした。しかし、その方は実はとても心優しい方であることもわかっていました。学生が、患者様を担当した初日に私のところに来て泣きそうになりながら、患者様からこう言われたと、半分泣きそうになりながら訴えてきました。「あんたは私を殺す気か!」こう言われた学生の心情は、察するに余りあります。とても堪えられなかったのでしょう。でも私はそのとき、学生にこう言いました。「この患者様は決して悪い人ではない。一生懸命にやっていれば、必ず受け入れてくれるから、頑張りなさい。責任は私が取るんだから、大丈夫。そして君の実習が終わるとき、その患者様から「有難う」と言われるように成長しなさい」。そして10週間の実習が終わるとき、その患者様は涙を流しながら彼に「有難う」と言ったそうです。とても大切だったことは、その学生がその患者様を通して、人として成長したことでした。本当に彼はよく頑張ったと思います。そして今、彼は地元に戻り、障害者スポーツをサポートする第一人者として活躍しています。

 これは、実習指導者としてとても嬉しい出来事でした。そして私もこのことから、とても重要なことを学んだように思います。指導者もまた、人として自分自身も成長できる喜びを、学生と共に分かち合えるものではないのだろうかと思います。

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